職場の前任者が使っていた言語がR。
「なら私もRだろう」と深く考えずにRの専門書をジャケ買いしました。
ここから私のIT未経験 → プログラミングの森への迷子生活がスタートします。
ページを開いた瞬間、目がストライキ
最初に目に入ったのは「プログラミングができると世界が広がる」という眩しいメッセージ。
「よし、世界を広げるぞ!」と気合いを入れて次のページへ。
──その瞬間、私の目がストライキを起こしました。
記号、数式、見慣れない単語のオンパレード。
脳内には「プログラミング反対!」のシュプレヒコールが響き、私は早くも心の中でデモ行進。
世界が広がる前に、まずは視界がかすむという新体験を得ました。
哲学的難問「テキストエディタは何でもいい」
参考書にはこう書いてありました。
「テキストエディタは何でもいいです」
いまの私なら「本当に何でもいいのだろう」ということが腹落ちしています。
でも当時の私は、これをニーチェ級の哲学問題として受け取りました。
- メモ帳でいいの?
- VS Code? サクラエディタ? あと何があるの?
- 「何でもいい」と言われるほど決められない現象、発生
結果、エディタ比較の深い沼にハマり、Rのコードを一行も書かないまま一夜が明けました。
(「テキストエディタは死んだ」とつぶやいたとか、つぶやかなかったとか。)
初めて触れた言語がR。退職がよぎった夜
当時の私はプログラミングのプの字すら知りません。
専門書の目次を眺めているだけで、「退職」という文字に変換していた気がします。
「前任者のプログラムは封印して、世界からプログラミングを締め出そう」なんてことまで考えました。
でも、不思議と完全にはあきらめられない。
たぶん、悔しかったんです。“自分で理解して動かせる人になりたい”という気持ちが、うっすら生まれていました。
小さな救い:「カメラの特殊撮影で遊ぼう」
挫折の空気を救ってくれたのは、プログラミングとは関係ない企画。
「カメラの特殊撮影で遊ぼう」という記事を読んで、ふっと肩の力が抜けました。
「あ、わかる。楽しそう」。
ITやデジタルにも“遊びの入り口”があるんだと、ちょっとだけ前向きに。
いま振り返って分かること:当時の自分に言いたい3つのこと
- 「何でもいい」は本当に何でもいい。
メモ帳でもVS CodeでもOK。後から変えられるから、まずは動かそう。 - 「分からない」を受け入れる。
1周目は単語の音を聞くくらいで十分。2周目で意味がにじむ。 - 手を動かす時間を死守。
読むだけは危険。3分でいいから、print("hello")
でも打つ。
これだけで、最初の壁の高さが半分くらいに感じられます。ほんと。
学びの方向転換:まずはPythonで土台づくり
Rの専門書で撃沈した私は、初心者に向いているプログラミングでググった結果、いったんPythonを勉強することに舵を切りました。
根拠は文法がシンプルで、入門の教材も多いとのネット情報。
そして少し分かってくると、Rの専門書に書いてあったことの輪郭が見えるようになりました。
遠回りに見えて、実は最短の近道ってあるのだと知った瞬間です。
これからプログラミングに再挑戦する自分へのメモ
- CSVを1つ読み込んで、行数・列数・列名を見るだけでOK
- グラフを1枚出す(
plot()
で点が出たら勝ち) - わからない単語はノートの端に1行メモ(調べるのは後日)
この「ハードルの低さ」が、初心者の味方です。
まとめ:挫折は通過点。
いきなり読んだ『Rの専門書』は、初心者の私には難しかった。
でも、あの目のストライキや哲学的エディタ問題が、いまの学びの土台になっています。
もしあなたが参考書を開いて「呪文にしか見えない」と感じているなら、安心してください。
仲間はここにいます。そして、挫折は通過点です。
私はいったんPythonを初級レベルから勉強することで基礎体力をつけました。
一緒に、少しずつ前へ進みましょう。